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倶楽部報(2020年秋号)
コロナ時代の大学野球
松橋 崇史(平成16年卒 竜ケ崎一高)
2020年09月25日
新型コロナウイルスの世界的大流行は収まりをみせず、百年に一度と言われる公衆衛生危機の出口は、未だ見えずにいる。各野球部が属する大学は3月以降卒業式を縮小したりオンライン開催したりすることを皮切りに感染リスクが高い各活動を停止し、前期(春学期)の授業がオンラインで実施することが決まっていった。部活を含む課外活動も例外なく停止対象となった。
5月25日に緊急事態宣言が解除されても大学の活動はオンラインで進められたが、運動部は先行して活動が始まっていった。キャンパス外に活動施設があり、感染予防対策が比較的容易なノンコンタクトスポーツは、各部の自主努力を前提に活動を認められやすい傾向にあった。都市圏に存在する大学に所属する多くの学生がオンラインでしか大学とのつながりを持てない中、練習や試合が始められる運動部は極めて恵まれた環境にある。
8月10日に始まった東京六大学野球連盟の春季リーグ戦ではアマチュア野球として先行的に3000人を上限に有観客試合とすることとし、無事、成功裏に大会を終えた。各大学は、後期(秋学期)の授業もオンラインが基本となり、多くの人々が集まるオープンキャンパスや学園祭もオンキャンパスを中止せざるを得ない中、画期的なことであった。そして、ウィズコロナの中で人々を集めるための重要なメッセージがあった。
リーグ戦開催にあたっての東京六大学の感染症予防ガイドラインは6ページにもわたり、リーグ戦のために神宮球場に集まる方々に守ってもらいたい細かいルールが定められている。感染が広がる可能性がある状況下で有観客試合を成立させるためには、自発的にルールを遵守するという自制心が鍵となる。それぞれが自制心を持って観戦に臨んでいるという信頼感を醸成できるかどうかが、重要となる。
自発性と信頼の関係をうまく説明できる例に「献血」がある。献血は、献血後にわずかながらのドリンクが提供され、血液検査の結果を知ることができるという特典などがあるが、基本的にはボランティアである。血液が必要となる状況に対して、自らの健康な血液を提供するという自発的な貢献意欲が献血を支えている。一方で、血液不足が指摘され献血への協力が呼びかけられている状況も存在する。自らの血液を提供するのであるから有償にして対価を支払えばより簡単に多くの血液を集められるのではないかという見方を採ることも可能であろうが、そうした方法ではうまくいかないそうだ。血液を売れるようになってしまうと「健康な血液を提供する」という貢献意欲ではなく、「収入を得たい」という経済的な動機付けで血液を提供するため、健康でない血液が混入する割合が高くなるからだ。自発的に血液を提供する状況だからこそ、集まってくる血液にウイルスなどが混入しているリスクが下がり、信頼しやすくなる。
大学野球の観戦にも似た論理が働く。応援する大学野球/大学野球部が存在し、それに対して酷暑の中で半日程度の時間とお金をかけて観戦に訪れる。集まってくる観戦者に対して体調管理や観戦マナーの遵守に対して一定の信頼感をおけるからこそ、8月中旬の感染が収まらない東京の真ん中で、有観客試合が可能になったのだと考えることができる。
スポーツはその時代その時代で期待される役割が変わり、メディアの切り取り方も変わっていく。ウィズコロナでは、運動部が持つとされる自制性や自発性が、社会一般に対して求められる。有観客試合の成立が東京六大学野球の自制性と自発性を体現したと言っては言い過ぎだろうが、ウィズコロナのニューノーマルに対応する人々の集まり方を例示した。大学教育の課外活動全般に対しても一定の影響を与える。模範を示しているからこそ特例的に練習と試合が認められていることを自覚して、学生と卒業生は、大学野球に関わっていくことが求められる。