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倶楽部報(2017年秋号)
ベクトルを自分に向ける・相手の心に火を付ける
金森 信之介(平成20年卒 仙台二高 現仙台二高勤務)
2017年09月09日
題の言葉は、塾大学野球部4年時のチームのテーマだったような気がする。皆で話し合って決めたとかではないが、自然発生的に学生コーチ中心にグランド内で意識付けされる言葉となったように記憶している。
私は、現在教員7年目、講師を含めると9年目を向かえる。ありがたいことに一昨年より母校である仙台二高で教鞭を執らせていただいている。震災年に採用となり、初任の4年間を被災地気仙沼で過ごした。先が見えず、不安を抱える生徒たちを前に何ができるか全く分からなかった。とにかく生徒と正面から向き合い、未来に希望を持ってもらえる導きができればと奮闘した。しかし、高校生も意外と強いものである。私の導きというより、共に歩み、共に乗り越えていこうといった感じで4年間を過ごさせて貰った。何にも代え難い経験をさせてもらった教員生活のスタートであった。また、ありがたいことに赴任当初から高校野球に携わらせていただき、塾の先輩方や塾の大学・高校野球部の震災復興支援を肌で感じる身となり、感謝の気持ちで一杯になった。あの節は、ありがとうございました。
採用から4年の月日が経ち、母校への赴任が決まった。正直もっと経験値を積んでから母校へ行きたいと勝手に思っていた私には、驚きと不安しか無かった。授業や進路指導で日本の最難関大学受験者を教える技量など到底無く、野球部も公式戦に出ることが第一目標であった合同チームの経験しか無い状態での赴任であった。それでも覚悟を決めてやるしか無いと1年間がむしゃらに勉強も野球も指導した。初年度は手前味噌ながら担当している地理の成績も良く、野球部も9年振りのベスト8となり、同僚にも金森先生が来てから雰囲気が良くなったよとお褒めの言葉もいただけた。しかし、2年目となると、地理の成績も落としてしまい、野球部の成績も公式戦3季通して納得のいく成果を挙げることはできなかった。その時の自分の行動を振り返ってふと思い返されたのが、塾野球部時代にテーマとなっていた「自分にベクトルを向ける、相手の心に火を付ける」という言葉であった。2年目の自分は“こういう指導をすれば大抵の場合は勉強ができるようになる、または野球の技術が向上する”というものを全くもって経験値が浅いのに勝手に構築してしまっていたように感じた。だから上手くいかなければ心のどこかで生徒のせいにしてしまっていたのかもしれない。また、モチベーションの低い生徒に対しては、表面的には頑張れと声を掛けていたかもしれないが、その生徒の勉強へのモチベーション、野球へのモチベーションをこちらの仕掛けで少しでも上がるようにという試みをしたことは無かったように感じる。要は仙台二高生が目指すべき自主自律というものに対して、私自身が生徒の自己責任と置き換えて指導してしまっていたのだと反省する。それから、自分の指導の仕方やアプローチの仕方を見つめ直すようになった。見つめ直すとたくさんぼろが出てくる、妥協していた自分と対峙しなければならなくなる。一方で1つの説明や指導の質をより突き詰めるようになる。新しいことをたくさん知ろうとする自分が生まれる。正直楽しい。人間はどんな分野においても智を追求していくことに関して喜びを覚えるものだ。大学野球部時代、野球が上手くなりたいと葛藤していた自分や仲間が蘇ってくる。あの時は自分にベクトルを向けた後乗り越えられたのかな?妥協してしまったのかな?モチベーションが上がらない仲間や後輩に対して建設的なアプローチはできていたかな?そんなことを思い返しながら、もう社会人として妥協することは許されない3年目を突っ走っているところである。いつかは、諸先輩方や後輩が指導する学校と甲子園で相見えたいという願望・目標を示させていただき、この文章を締めさせていただく。お後がよろしいようで。ご一読ありがとうございました。