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倶楽部報(2024年春号)

いんたーNET「社会人で活きている塾野球部での経験」

金澤  爽(令和2年卒 済々黌高 伊藤忠丸紅鉄鋼株式会社)

2024年04月12日

令和2年卒・金澤爽です。4年時のチームには主将の郡司をはじめ、後輩にも後にプロ野球、社会人野球に進むメンバーが在籍し、4年秋季リーグ戦優勝、明治神宮大会で優勝と、最高の形で野球生活を終えることができました。今ではテレビの向こうでの野球中継で、都市対抗野球で、塾OBの皆さまの活躍から大きな元気・力をもらっております。

さて私の野球部時代ですが、3年までは選手として、4年には副将兼学生コーチという貴重な経験をさせていただきました。その中で私は常に“メタ認知“を意識して行動しておりました。入部当初、現状の実力では試合に出場できないと認識した私は、周りから何を期待されているのかを考えました。未来の戦力となるべく練習してうまくなってほしいという思い、試合に出ないながらもチーム貢献をしてほしいという思いの2つがあるのではと考えました。前者ではバットを振り続け、1試合だけですが、代打要因としてリーグ戦のベンチ入りすることができました。(自分が試合に出たいと思うのが一番の原動力でしたが)後者では練習中は大きな声で自身・周りの選手を鼓舞し続けました。通常の練習ではもちろんのこと、試合前の神宮球場でのバッティング練習ではバッティングキャッチャーを、試合中はボールボーイを務め、選手に一番近いところから鼓舞し続けました。プレーでは貢献できないなかで、最前線で戦っている選手に少しでも勇気づけられたらという思いでした。自分に何が期待されており、それに最大限応えたいという思いでした。

最終学年に上がる際に、チームへの献身の姿勢を評価され、副将兼学生コーチに指名されました。春までは選手として練習する傍ら、学生コーチとして外野ノックを行い、春以降は学生コーチ専任でチームに関わってきました。学生コーチに専念したのは春季リーグを2位で終えたあと、私には選手としてプレーする“権利“はあるものの、塾野球部としては勝ち続ける”義務”があると考えたためです。自分は副将でありながら公式戦に出たことはなく、それならば勝ち続ける“義務“のために学生コーチとしてすべてを捧げようというものでした。私自身の中で葛藤はありましたが、自分に期待されているのは学生コーチとしての部分だと考えで決断に踏み切りました。結果として、六大学優勝、明治神宮大会優勝、その後の台湾への遠征など、どの大学よりも長くあのメンバーと野球をすることができて、あの時の決断は間違っていなかったと思っております。

現在は鉄鋼商社で勤務し5年目となります。今は事業会社に出向しているということも相まって、互い利害関係のある取引先と仕事をするのがほとんどです。会社の方針に沿いながらも、取引先から期待されている当社の働きは何なのか、それを踏まえて取引先同士をどのように取り纏めていくのか、日々悩みながら仕事に全力投球しております。日々勉強の毎日ですが、塾野球で磨かれた勝つための“メタ認知“は社会に出ても役に立っていると感じております。

塾野球部においては昨秋の六大学優勝、神宮大会優勝という最高の結果で全国の野球ファン、塾野球部OBを盛り上げていただきました。今春も熱い戦いで全国のファンを熱狂の渦に巻き込んでもらいたいと思います。

最後となりましたが塾野球部の益々のご活躍と今後さらなる発展を祈念しております。

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