バックナンバー
ホーム > バックナンバー > 倶楽部報2015年秋号 > 2015年秋号(いんたーNET)
倶楽部報(2015年秋号)
いんたーNET
菊地 啓太 平成16年卒 慶應高 中京大学勤務
2015年09月09日
2011年3月。東日本大震災の直後、私は20余年過ごした神奈川を離れ、榊原敏一先輩(S32卒)のご紹介で三重県松阪市に移った。故・梅村光弘先輩(S36卒)が築き上げられた梅村学園松阪地区での2年間の生活は、高校・大学を塾で過ごした私にとって、当初は戸惑う半面、新鮮かつ刺激的で、私の人生を劇的に変える出会いや出来事の連続であった。
2012年。私がコーチとして携わった三重中京大学(2013年閉校)は、4年生部員のみ僅か24名で全日本大学野球選手権と明治神宮野球大会に出場することになるが、それは私が塾野球部で先輩、同期、後輩から学んだことが大いに生きた結果であった。学生募集停止後、他大学に編入することなく最後まで大学に残った学生達とともに汗を流し、涙を流し、彼らが笑顔で卒業できたことに安堵しつつ、この2年間が私の財産となった瞬間を昨日のことのように憶えている。部員が少ない故、東京ドームや神宮球場での試合では補助員を出すことができず、塾野球部の後輩の皆様に助けていただいた。その中の一人が今春ベストナインを受賞された梅野君で、私は彼のご活躍を遠くから密かに喜んでいる一人である。
三重中京大学として最後の公式戦となった明治神宮野球大会・準々決勝では法大に敗れ、東京六大学に勝利するという目標は果たせなかった。六大学で育った私にとって、神宮で六大学に勝つことは大きな目標である。地方大学リーグでは毎週あるいは毎日のように会場が変わることも少なくなく、神宮を離れて初めて六大学の恵まれた環境を思い知ることになる。早慶戦ともなれば尚一層である。だからこそ勝ちたいというハングリー精神を持ちつつ、六大学は常に頂点に君臨して欲しいと願い、塾野球部は恒久に日本球界のリーダーであって欲しいと願う。
2013年からは中京大学で新たに出会った学生達とともに汗を流している。先日、名古屋で開催された全早慶戦の後、幸運にも塾野球部に胸をお借りすることができ、本学野球部員にとっては六大学のレベルを肌で知る大変貴重な機会となった。
こうして名古屋の地でも塾野球部の先輩、後輩の皆様にご指導や激励、ご厚意をいただいている。いつも塾野球部や先輩、同期、後輩、そして各地でいただくご縁に感謝の念を持ち、いつの日か神宮で塾野球部に勝利することを目指しつつ、塾野球部の活躍を楽しみにしている日々である。