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倶楽部報(2018年秋号)

編集後記

庄司 信明(昭和59年卒 九段高)

2018年09月06日

秋のシーズンは、慶応野球部史上2度目の3連覇がかかる。前回達成したのは、1972年(昭和47年)秋だったので、成し遂げられれば46年ぶりの快挙だ。

1972年というと、グアム島の密林で横井庄一さんが発見され、また連合赤軍が人質をとって籠城し、警官隊と衝突した浅間山荘事件などもあった。スポーツ界では札幌冬季五輪があり、70メートル級ジャンプで笠谷幸生選手が日本初の冬季五輪金メダル。銀の金野昭次選手、銅の青地清二選手とともに「日の丸飛行隊」と呼ばれ、喝采を浴びた時代だった。

そんな時代に塾野球部は、榊原敏一監督を引き継いだ大戸洋儀監督時に3季連続優勝を果たした。まず1971年秋、榊原監督、松下勝実主将(昭和47年卒 清水東高)のもと、「なんとしても法政の5連覇を阻止するぞ」と臨み、9勝2敗、勝ち点4で9季ぶりの栄冠。大戸新監督を迎えた1972年は、エースの左腕・萩野友康主将(昭和48年卒 土佐高)が打って投げての大活躍で、春、秋ともに優勝をもぎ取った。特に秋のシーズンは、最後の早慶戦に優勝がかかり、その上、1勝1敗で勝負は3回戦に持ち込まれた。ここでも3連投となった萩野投手が気迫のピッチング。早稲田を散発の5安打に抑えて、見事3-0の完封勝利を収めた。

さて、偉業がかかる今秋。高橋亮、菊地、津留﨑らのコマの揃う投手陣は、計算がたち、河合主将をはじめ郡司、柳町、嶋田らの打撃陣も好調のようだ。ただ、春のリーグ戦を見る限り、2位立教、3位タイの明治と早稲田、5位法政との実力差は紙一重。どこが優勝してもおかしくない、というのが現在の力関係だろう。

他校が「打倒慶応」で臨んでくるシーズン。かつて3連覇を果たした時の萩野主将は、塾野球部史の中で次のように述べている。「塾で初の3連覇を達成するとは誰一人として想像できなかっただろう。僕たち自身も夢にも思わなかった。(中略)最上級生になり主将に選ばれた時から心に期すことがあった。それは苦楽を共にしてきた4年生全員が、リーグ戦ではユニホームを着て、全員で喜びを分かち合うことだった」。そして4年生たちは、何らかの役割を担当し、チームの勝利に貢献していったという。

平成最後となるリーグ戦を、3連覇という有終の美で飾るためには、最上級生たちの結束力が欠かせない。勝敗には運、不運もある。レギュラー陣に4年生は少ないけれど、とにかく最後の最後まで4年生全員には完全燃焼をして欲しいと思う。

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